「 卒業シーズン到来 」
仕事で移動していると、沢山の卒業生らしき人々に出会う。
幼稚園・小・中・高校・大学生と様々であるが、一見して卒業生と分かる。
私が卒業した頃は、「仰げば尊し」を2番まで歌ったが、今は一番だけしか、歌わない学校が増えているらしい。
あれほどピッタリな曲もないと思っていたが、原曲はアメリカの超無名の曲なのだという。
童謡だと思っていた曲が、実はヨーロッパの民謡だったり、人の思い違いははなはだ愉快な結果となるが、この季節「仰げば尊し」は聞きたい曲だ。
そんな事を思っていたら、今日の産経新聞「正論」に興味のある記事が載っていた。
「仰げば尊し」は明治の心だそうだ。
卒業式の定番歌として明治以来親しまれてきたが、やはり原曲はアメリカで遥か昔、1871年にニューハンプシャー州の学校の卒業式で歌われた記録がある。
昔覚えた歌は、何十年も経つのにまだ覚えている。
一番はまだ聞くチャンスもあるだろうが、削られてしまった二番に歴史を感じさせる部分があると言う。
意味も解らず唄っている人が多いが、「君が代」にしても日本の歌は味わいが深いので、
是非意味を解って唄ってもらいたい。
二番の歌詞を書いておくが、解らない言葉の意味が解ったのは、嬉しかった。
「互いに睦し 日ごろの恩、別るる後にも やよ 忘るな、身を立て 名をあげ
やよ 励めよ、今こそ 別れめ いざさらば」こんな歌詞だった。
「やよ」の意味がよく解らなかった。
記事もそこに触れ説明していたが、単なる立身出世を目指せ、という表面的な意味ではなく、母親の言葉を思い出しつつ、母性の強さを示しているのだと言う。
どの時代でも、母は偉大なものなのだ。
戦争のあった時代は、戦で命を落とす若者が沢山いた。
そんな人たちの母親は、いつも心を傷めて表向きは「頑張って出世して」といいつつ、
内心では「出世は程ほどでもいいから、生きていて」と思いながら、戦地に送り出したのだろう。
昨日は、地下鉄サリン事件から19年目を迎えた。
人の運命は変えられないものだと先日書いたが、私はサリン事件で命拾いをしたと思っている。
魚屋ではないから、生涯で何回も築地には行かない。
たまたま商談でサリン事件の当日あの時間に約束があったが、先方の都合が変わり、1週間前倒しになった。
日時のやり繰りは大変であったが、何とか対応し商談は終わった。
その翌週、同じ駅でサリン事件が起こり、沢山の人が死傷してしまった。約束どおりなら私も確実に巻き込まれていた。
それ以来考え方を変え、相手が予定を変更しても、良心的に対応している。
運命は少しの修正が出来るから。
2014・3・21
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