「日本語の難しさ」
昨日の文に一部他の人と重複した文があったことをお詫びする。
文は訂正し、削除した。
日本語をキレイにまとめる難しさを思い出している。
筆者は本来国字が大好きであり、日本字を書くこと・読むことが楽しい。
活字全般が好きな性分である。
学生時代から投稿魔でもあり、綺麗な日本語を使おうと心がけてきた。
叔父が新聞社で外電関係の記事を担当していたのも、影響があったかも知れない。
漠然と報道方面に進路を求め、いつか自分の記事がどこかに載らないかと希望していた時期もあった。
しかし私の希望と時代が合わず、最後まで希望の職種には進むことは叶わなかった。
自分の望む仕事に就けた人は、どの位いるだろうか。
生活するためには、希望しない仕事に就く人もあるだろう。
さらに生まれた家により、引き継いでいかなければならず、職業を選べない人も大勢いると思う。
伝統を守る老舗、格式高い能・狂言・歌舞伎という世界も、生まれた時から定められた職業である。
ほとんどの人が、生活の糧として仕事をする。
好きな分野は趣味となり、余暇に楽しむものに変化しているのかもしれないが、
私の文字好きも、最後は趣味の域で留まってしまった。
現代の若い世代は、やたらと言葉を短くしてしゃべる。
格好がいいと勘違いしているようだが、いつも心に中でイラッとする。
日本語として残念である。
我が家の教育方針の一つとして、言葉遣いがある。
乱暴な言葉を使いがちな小学校の高学年の時、じっくりと説明をした。乱暴な・汚い言葉は、
やがて社会に出る時不利になり、さらに入社したら徹底的に直される。
使いこなしてしまっている乱れた言語は、なかなか直せない。
いい年の大人が「僕」と言っているのを聞くと、ガッカリする。
社会に出たら「私」「私ども」などと使っているではないか。
直されても直らないのである。
女性は子供時代から「私」であるので、あまり苦労はしない。
息子は親の話を理解し、小学生時代から自身を「私」と言っていた。
驚いたのは担任の先生である。
なぜ、「女言葉」を使うのか?と質問された。
当時PTAの役員や広報誌の製作に積極的に参加していたので、「せめて自分の子供くらい綺麗な日本語を使える人に育てたい」と真意を説明したところ、ご理解をいただいた。
広報誌を製作するにあたり、新聞社のセミナーに何回も参加させて頂いた。
文章の構成や見やすい広報誌の作り方など、勉強するうちにまた私の文字好きに火が点き、
息子の高校時代まで続いてしまった。
同時期に自分の母校の会報も作っていたので、楽しい日々であった。
しばらく文を書く生活から離れたが、またブログを書くことで、毎日ワクワクしている。
綺麗な言い表し方では、強烈な意味は伝わらない。
そんな時は少しキツメの表現を使うが、「言葉の暴力」にならないように注意しつつ、
これからも書いていけたらと思っている。
2014・1・25